👉その56
19才の夏のこと。当時、関空から稚内空港を経て、ランドナーで再び宗谷岬に立った。今度は後輩君を連れて。
「あの最北端の店(自称?)で旗を買って、隣のラーメン屋で帆立入りコーンバターラーメンを食べよう」
「先輩、いいですね!」
さあ南へ出発🚴♂️
👉その57
縦断1日目。いきなりパンク。
オホーツク海と広い草原を見ながらパンク修理するも、中のゴムが切れていきなり修復不能。仕方なくタオルやシャツをタイヤにねじ込み、何とか走って浜頓別町のバスターミナルに到着すると夜だった🌙
「寒い!ここで寝よ」🚴♂️
👉その58
縦断2日目。浜頓別町の自転車店に朝一でリムテープの修理をお願い。
「くっつけて下さい」
色々塗ってまさかの点火ファイヤー🔥
初めて見る修理方法で直してもらい、R238のオホーツクラインを走り出す。
強い潮風が吹く中で見えたのは
「神威岬だ!」🚴♂️
👉その59
北海道を走ると難読の地名に出会う。
興部(おこっぺ)の沙留(さるる)とか。
自販機は次が遠くて補給は死活問題。
そして道北の夜は夏でも寒い。
「野宿は厳しいな、あそこだ!」
湧別町の労働組合センターに話をつけ、2千円払って寝袋で会議室に泊まった🚴♂️
👉その60
縦断3日目。トウモロコシ畑を走ると遠軽町から線路が見えた。
「駅のスタンプラリーして行こう!」
ここから駅への寄り道がず〜っと続きます。無人駅でスタンプが空振りも多かった。
足寄町に着くと、大阪屋食堂2階のライダーハウスに泊まらせて頂いた🚴♂️
👉つづく
《2回目の縦断では北海道をオホーツク海沿いに走ったわけですが、海からの逆風がエゲツなく吹いてました。町というか点々とした集落に着いては補給を繰り返す感じのロングライドです》