👉その131
夏合宿三日目は暑かった。草津町で朝に炊いたご飯とサンマの缶詰を6人で食べる🍚
「頂きます!」
「飯食ったら次は白根山と渋峠だな」
一回生が急にダウン
「どうした?サンマ食べたら元気になるぞ」
どうにも返事がない
迷う暇なく
「病院に行くぞ」🚴♂️
👉その132
後輩は一晩入院。皆は病院の駐車場で待機して牛丼を作って寝た。
夏合宿四日目。朝退院したら6人でJR輪行して、ゴールの松本市へ。夏合宿はここでジ・エンド。
チャリ部の他の完走した班は僅か。打ち上げして信州から帰る。
続きの山々は夏の忘れ物⛰️
👉その133
三回生として最後の夏合宿が終わっても、夏休みはまだ続く。チャリ部の皆は実家に帰省したり、どこかロングライドに行く者もいた。
私も次の準備に取り掛かる。家庭教師のバイトは時給が良かったが同期に譲った。地図を詰め込んで、航空券を手配して‥✈️
👉その134
夏合宿から三日後、同期と2人で輪行して関空にいた。ランドナーを預けて、フロントバックは手荷物。
搭乗口ゲートに入ると引っ掛かった。原因はパンク修理用ボンベで即没収🕊️
同期はワイヤーカッターが引っ掛かったが、その後どうなったのだろう?🚴♂️
👉その135
20歳の夏、関空から直行便で稚内空港へ輪行して、私は再びランドナーで宗谷岬に立っていた。3回目の日本縦断スタート、夏の恒例行事。軽量化のためテントは持たずに寝袋で野宿と決めた。
今回は北海道だけ同期と一緒に走り、本州から別々で南へ向かう🚴♂️
👉つづく
《結局のところ、チャリ部での夏合宿は完走できなかった。他の班は完走しただけに残念だけど、皆で頑張って走ったのは事実。そして三回目の日本縦断の始まり》