kego『水曜にチャリ話』バックナンバー集

Twitterで更新中の〜水曜にチャリ話〜のまとめ

水曜にチャリ話 その106〜110

👉その106

当時はライドと呼ばずにポタリング、連泊ライドをツアーと呼んだ。
私のお気に入りの大内山村ツアーはメインが動物園、親父さんが一人でされてた頃。ふれあい牧場で乳搾りをして、グリーンパークで牛乳露天風呂に入った🥛
今はどうなっているのかな?🚴‍♂️

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👉その107

大内山村ツアーの夜。無人駅にテントを張り、莫山先生の焼酎よかいちで酒盛りと古今東西をした。朝に気がつくと、風で予備テントが飛んでいた。
ツアーも無事終わると新入部員はチャリ部に残り、陸トレやポタリングなど夏合宿に向けて部活動が始まった🚴🏻

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👉その108

当時、チャリ部の部会にて。
「もうちょっと新入部員が欲しいな〜」結論、女子部員を集めよ。それで男の部員は集まる。チャリ好きには後から染まっていく。
私は再びお試しライドを企画した。連休に輪行して、ランドナーで嵐山と太秦を巡る京都ライド🚴‍♂️

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👉その109

京都ライドは後輩を連れてランドナーで走りつつ、嵐山の屋形舟と太秦映画村を楽しむのは遠足のようで好評だった。
〆は淀川河川敷にて晩飯作り。ついでに実家から飼い犬を連れて来て、一緒にガッツリ食べる。これでライドの魅力を体験してもらえたかな?

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👉その110

当時、毎年恒例で徳島大チャリ部との合同サイクリングがあった。ランドナー南海フェリーに乗せて、和歌山港から小松島港へ。一緒に吉野川沿いのポタや藍染め体験をしたり。1年おきに相手のホームへ海を渡ったけど、やはり海を挟むと気軽に行けないな🚢

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👉つづく

 

ランドナー輪行するツアーを組み立てて、後輩達を連れて走り、夜はテントで宴会が楽しかった。ソロツアーばかりになるのはだいぶ先の話です🚴‍♂️》

 

水曜にチャリ話 その101〜105

👉その101

当時、二十歳の成人式を地元で済ましたら、チャリ部の冬の風物詩である追い出しサイクリングが待っていた。
向かうのは磯ノ浦。追い出されるのは先輩達。ポタリングで雪が舞う海岸に着くと、流木で焚き火をして豚汁を作る。
「皆んな、着替えはOK?」🌊

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👉その102

冬の砂浜。当時、四人で先輩達の両手両足を持ち、シーツを広げるように上げ下げするのを「亥の子」と呼んだ。海に放り込み、そして卒部してもらう。
結局は全員が海に入ることになるが、風の無い海の中は寒さがマシだった。豚汁と焚き火で温まって完了🔥

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👉その103

春が来て3回生になると、サイクリング部の運営に回る。先ずは新入部員の勧誘と新歓ライドの募集が仕事。
皆で琵琶湖、嵐山、神戸、奈良などの無難なツアーが企画された。
私も後輩と企画したわけで、
「行き先は‥三重県の大内山村だ」
「ええっ!?」

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👉その104

当時、JR和歌山駅0時発の紀勢本線夜釣り列車があった。新入部員に部車のランドナーを貸し、テントや鍋を抱えて輪行
各停だけど、寝て朝起きたら終点の新宮に到着。乗り継いだら国道42号沿いに三重南部を皆で走る🚴‍♂️
「サイクリングって楽しいでしょ?」

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👉その105

当時、年季が入ったランドナーの部車を新入部員が乗りこなすのは難しかった。
「先輩、ギアが変わりません」
「先輩、チェーンがまた落ちました」
「先輩、サドルが硬くて尻が痛いです」
「2、3年したら尻も硬くなるよ〜」
看板が見えたら目的地に到着🚴‍♂️

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👉つづく

 

《毎年冬に海で泳ぐ、というか海にはめるというのが伝統でしたが、寒いを通り越していたな〜。三重県大内山村はとにかくお気に入りの地域でした。あの頃は何度も訪れました》

 

水曜にチャリ話 その96〜100

👉その96

近サ連の五月山RTT。当時、同期と2人で池田市まで輪行して五月山公園へ行くと、各大学は集団で参加していた。マウンテンがほとんどで、ランドナーはごく僅か。初めてチャリでヘルメットをかぶり、ドキドキしながらスタートすると、いきなり激坂が!🚴‍♂️

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👉その97

近サ連の五月山RTT。激坂を越えると急に下りになったのでアウタートップ。すぐに登り坂に変わり、急いでインナー変速を繰り返すうちにゴール。
結果は10位。1〜6位はホームの阪大チャリ部で、揃ってマウンテンだった。
今もチャリに乗ってるのかな?🚴‍♂️

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👉その98

当時1997年の正月はチャリ部の皆も実家に帰省して、下宿はガラガラ。
残ったメンツでコタツを使って麻雀。
喰いタン、喰いピンなし。マネ満、流し満貫あり。手積みで盲牌しながらツモる。
「ロン!タンピン三色ドラ2。親っパネ」
ハコったら牛丼おごり🍚

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👉その99

当時、体育会主催の駅伝大会にサイクリング部も毎年参加していた。
ラグビー部には負けるな。陸上部に張り付け」と先輩の声。
必死で張り付くも段々離され、陸上部の主将から
「フォームに無駄が多すぎ」とダメ出しアドバイス
ランニングは今も苦手🚴‍♂️

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👉その100

番外編

21歳で初めて買った車は中古の白いカローラ。税込10万円。そのまま元旦に潮岬へドライブしたら、追突されて廃車に。示談で10万km寸前の中古MT車のミラパルコ👇をもらうが、半クラをし過ぎて1年で廃車。
潮岬から一緒に乗っているのは今の嫁さん😁

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👉つづく

 

五月山RTTは初めての部外レース。沢山の速い人を知ることになる。しかしこのレースはこれ一回限り。徹夜麻雀は毎週のようにツモっていたな。串本で追突してきた学生達は無保険。やむ無く示談でクオーレパルコになるが、ミッションでガチャガチャ変速遊びをしすぎて、常に半クラ状態になり、時速30キロしか出なくなった🚙》

 

水曜にチャリ話 その91〜95

👉その91

恐怖は人を速くする。当時の札立峠T.Tは野上町の神社の角から。そこまではチャリ部の皆んなでポタリング
教授はロード、私はいつものランドナーで最後尾に同時スタートしたら、恐怖心で最初からラストスパートの逃げ。十代は何でもできて素晴らしい🚴‍♂️

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👉その92

教授と札立峠バトルクライムは直ぐにラストスパート🚴‍♂️
「おい、待てコラ!」
「ひゃ〜!」
踏みまくって恐怖のゴール!勝った。
「逃げられたか。おい、ビール買ってこい」
「先生にビールだ!あそこ自販機!」パシる一回生。
まだ何でもありの頃でした🏆

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👉その93

当時、ロングライドの炊飯はコールマンのガソリン式バーナーを使った。
旅先のガソスタでレギュラー1㍑を買っては充填した。
余ったガソリンはそのまま捨てる訳にもいかず、家でランドナーのチェーンを洗ってるうちに蒸発したが、汚れはよく落ちました🚲

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👉その94

1996年の話。チャリ部の部会にて。
「近サ連から、五月山RTTの案内が届いたぞ。」
RTTとは、ランドナータイムトライアルの略だった。貴重な部外のヒルクライムレース。
「行きます!五月山ってどこですか?」
当時は五月山がどこかを知らなかった🚴‍♂️

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👉その95

近サ連の五月山RTT。チャリ部以外のレースはこれが初めてだった。同期と2人で参戦。
当時はランドナーに乗る時、ヘルメットをする習慣が一般的に無かったと思う。
「原付のメットを先輩に借りよう」
「グローブも無いぞ」
「軍手だな」
準備オーケー👌

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👉つづく

《札立峠T.Tはチャリ部で夏の終わりの一大イベント。この部内のヒルクライムレースはドーナツコンクリの激坂をランドナーで登るという、今では考えづらいものだったが、何故か毎年好きなレースだった🚴‍♂️》

 

 

水曜にチャリ話 その86〜90

👉その86

稚内から23日目。3千km走った19才の夏はランドナーとともに関空に到着して、ようやく2回目の日本縦断ライドが終わった。
一緒に走ってくれた後輩君はチャリからバイク乗りに変わり、卒業後は北陸に帰ってもう20年ほど会っていない。
元気にしてるかな〜🚲

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👉その87

当時、長旅から帰っても野宿とイス寝に慣れすぎて、布団では眠れなかった。
大きくなり過ぎた胃袋を持て余し、日常の食事の量に戻すのが大変。
CoCo壱の1,300gカレー20分以内完食で無料🍛に挑戦を試みたが、近所に店が無かった。
「では、王将だな‥🥟」

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👉その88

当時、近所の王将で餃子10人前を30分以内に食べたら無料🥟に喜んで挑戦して、25分で完食。昼飯はマクドの80円バーガー10個🍔(その後65円に)
気がつくと体重は55kgから65kgに。
しかし学生の食費は底をつくのも早く、強制的に胃袋が縮んで体重も戻った🚴‍♂️

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👉その89

恐怖は人を速くする。当時、独語の講義が超苦手だった。教授が怖くておっかなくて☠️
「イッヒ ビンから読んでみろ、おい!
おまえ発音おかしいぞ!」
「ひぃ〜💦(絶対単位取れん‥)」

そして秋に恒例のチャリ部ヒルクライムレースがやってきた、が‥🚴‍♂️

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👉その90

恐怖は人を速くする。チャリ部の部会にて。
「今度の札立峠T.Tは独語の教授もゲスト参加されるぞ」
「えっ!顧問じゃないのに?」

「二人ずつ30秒毎スタート、最後尾に前回1位と同時スタートだ」
「私と?マジで‥。なんで先生チャリ乗ってるの?」🚴‍♂️

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👉つづく

《長旅から家に帰り、普段の生活に戻るのに色々と時間がかかった。起床時間や飯の量、運動量と一気に変わる。そしてカロリー消費が激減しているのに胃袋がでかいうちは、ダイレクトに太ったなあ🚴‍♂️》

水曜にチャリ話 その81〜85

👉その81

稚内から20日目。沖縄へ24時間の船旅。荷物に結んだ宗谷岬の旗を見た女性が後輩君と談笑していた。
「先輩、こちらの方が晩飯を奢って下さるそうです」
「助かります!(でかした!)」
「沢山食べてね」
「本気で頂戴します!」

当時の飯は朝3昼3夜4合🍚

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👉その82

稚内から21日目の夕方、那覇港に着いた。当時も9月半ば、まだ暑い。
「えらい風が強いぞ?」
ちょうど台風がいくつか近づいているのが分かった🌪🌪
「港で飯炊いて寝たら、明日出発しよう。台風が来るまでの勝負だな」
「先輩、沖縄楽しみたいですね」🚴‍♂️

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👉その83

稚内から22日目、那覇港を出発して土産店に入る。龍の置き物と目が合った。
「ドラゴン‥」
「お客さん、いいもの見つけましたね」
DQ世代は龍に反応する。割れないように寝袋でぐるぐる巻いて、サイドバックに詰め込む。ライドの荷物が増えていく🐉

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👉その84

この日はランドナーで後輩君と観光ライド。火災の前の赤い首里城ひめゆりの塔平和祈念公園。南の海岸沿いのR331を走って、青い海を眺める。
台風の風が強くて砂が飛び、そろそろ潮時と判断。
「じゃ、空港に行こう」
旅の終わりはいつもあっけない🚴‍♂️

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👉その85

まだ未成年の打ち上げは後輩君と鬼のように肉を食べるだけ🍖
那覇空港から関空までのスカイメイト運賃14,000円。土産を大量に買うと所持金はあと2千円程。
関空から自走は無理ですよ」
「連絡橋も輪行だな、ヤバかった💦」
那覇空港でラストの椅子寝🚴‍♂️

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👉つづく

 

《沖縄への輪行は今のところ、この時が最初で最後。船の一日旅は贅沢な時間の過ごし方だった。飛行機輪行はチャリの正装が空港での場違い感満点だったな💦》

 

水曜にチャリ話 その76〜80

👉その76

四国の北西、佐田岬の三崎港は静かなところ。当時900円払ってフェリーに乗り、一時間程で大分の佐賀関港に到着。
この国道九四フェリーは名前の通り、海上国道197号で九州四国を結ぶ。
写真がないのは大雨だったからで、港のバスターミナルの軒下で寝た🚴‍♂️

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👉その77

稚内から18日目。佐賀関港の朝は早く、人目を気にしつつ炊飯して出発。R217〜佐伯市からはR10を走り、宗太郎越えで宮崎県。旭化成の町、延岡市からは日向灘を見ながら南へ長い道が続く。220km程走って宮崎市に着くも駅寝ができそうに無く、公園で寝た🚴‍♂️

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👉その78

稚内から19日目。R10で都城市を抜けて鹿児島に向かう。九州の商店ではイチゴ味の袋のカキ氷50円をよく買い食いした🍓
当時、週刊プロレスを毎週購読してはサイドバッグに積んで走った。
武藤敬司VS高田延彦の試合で足4の字固めが脚光を浴びた頃の話🚴‍♂️

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👉その79

R10で霧島市から桜島を眺めて走り、鹿児島市に到着。異人館など観光する。
「先輩、鹿児島ですね。ここまで長かったですがようやく‥」
「港で沖縄行きの船に乗るぞ。タイヨー☀️というスーパーで食購しよう」
「えっ!?」
後輩君は驚きを隠せなかった🚴‍♂️

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👉その80

鹿児島港で那覇行きの船に乗った🚢
2等客室は狭かったけど、学割9,800円。夕方に出港して、与論島などに寄りつつ、翌日夕方までの船旅。
船内の大浴場に入ったり、地図を見てたり。太平洋で夜を迎えると、船の甲板から見上げる満天の夜空がキレイだった🚴‍♂️

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👉つづく

 

《九州を走ると感じるのは終わり近いということ。ゴールもそうだし、夏の終わりも近づいていました》